2008.6.14-15
【和歌山県】
白崎(Map)
スキー場のロッジに来ています。
それは冗談ですが、一瞬そんな絵に見えたりしませんか?
ここは紀伊半島西側の白崎(しらさき)で、内陸部への連続性は分かりませんが、岬の部分だけに石灰岩の白い世界が異次元のように広がっているような印象があります。その岩の白さと海のコントラストに引かれての再訪になります。
現地で、それほど気に入ってるに写真が残ってないのは何故? と考えて、前回の訪問中にカメラが故障したこと思い出しました。写ルンですを買ったものの、熊野古道などの写真は全滅でした……
そんな記憶の中で「ここだけは」と思っていたのかも知れません。
──熊野古道などはいまでも強烈な印象として残っているので、写真なんかいらないと思っている面もあります。しかしあんなにチャーミングな牛馬童子(ぎゅうばどうじ)像(出会えた瞬間は感激しました!)が破壊されたなどと聞くと、世も末と言うか日本はこの先どうなってしまうんだろうと、暗たんたる気持ちにさせられます……
最初の写真のバンガローや、コンテナハウスなどの設備のあるオートキャンプ場や、ダイビングに利用できるクラブハウスなどが整備されたリゾート地的な一画になります。
土曜だったせいもあり、ウエットスーツ姿の人が何十人もゾロゾロ歩いていました。
駐車場が白い岩の壁に囲まれたくぼ地のような場所にあり、自慢の愛車をそんな背景の前に止めて盛んにシャッターを押す人を見ていると、ここはそんなポスター撮影などによく使われたりするのだろうと思えます。
絵になるし、西海岸になるので夕日を眺めながらのデートには最適と思われます。
と考えると、昼間よりも夕暮れ時の方が賑わっているのかも知れません。
湯浅(Map)
醤油の起源とされる金山寺味噌(大豆・米・麦・野菜を熟成させたものを食用とする)が中国から伝わり、現在も特産品であるこの地が醤油発祥の地とされています。
金山寺味噌には穀物の風味が色濃く残っていて口当たりも良く、体にも良さそうな栄養価の高さを感じさせてくれるので、箸の出しやすい食材だと思います。
ですが、伝統の味を守ろうと自負する土地の食材には「んっ?」と感じたりすることもあります。
それはわたしの味覚が、伝統の味を現代風にアレンジしたものに慣らされたせいであろうことは理解しています。
これまで訪問してきた近畿以西の歴史の長さを踏まえると、「甘さ」がとても貴重だった時代にもてはやされた「味覚」が伝統として受け継がれているのではないか? と感じられる土地が多いように思います。
東方から来た野蛮人の、伝統的な金山寺味噌を甘く感じ、醤油発祥の蔵のたまり醤油をまろやか過ぎると感じたりする「味覚」というものは、言ってしまえば個人の嗜好ですから、そんな勝手な基準では「文化」「素朴さ」を感じることはできないのではないか、と思われます。
見聞と同じで、その味からどんな「歴史」「風景」を感じられるのかが大切なのではないか? と思いながら味わっておりました。
友ヶ島(Map)
上写真、右上の対岸に色濃く見える低い山が「生石(おいし)の鼻」になり、その奧が淡路島の山で、左側に薄く見えるのが沼島です。
瀬戸内側から東へ進んできたくせに、伊勢など行ったりして順番は逆になりましたが、忘れていたわけではありません。ここを訪れずして西日本の内海巡りを終えられないと考えていました。
未踏の島は数多くありますが、これでひと通り関門海峡から紀淡海峡まで続く内海の島巡りは終了で、自分の中ではひとまず閉じた(つながった)という認識になります。
沖縄は広くてちょっとずるいのですが、屋久島、五島列島に並ぶお気に入りに、しまなみ海道周辺(だけではありませんが)が加わり、見聞の幅が少し広がったのではないか? と思っております。
でも日本地図を見てもらえれば分かるように、東日本にはそんなに島はないんです……(伊豆諸島は訪問済み)
友ヶ島とは、地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称とされていて、訪れたのは一番沖合に位置する沖ノ島になります。
行程を考え9時の船便に乗ろうと船着き場へ行くと、ギョッとするほどの人が集まっています。
そんなに人気があるのか? とビビッたら「友ヶ島 ビーチクリーン2008」みんなで海岸を掃除しましょうという催しに遭遇してしまったようです。
子ども連れからおっさんグループまで結構な人数が集まっていて、乗り切れるのか? という中、一般乗客として最後の切符を入手できました。
なるほど大阪湾の入り口ですから、水の汚れはそれほど分からないでも、浮遊するゴミの多さにはやはり大都市圏(大阪、神戸等)を背景にした海という印象があります。
海峡の幅も明石海峡と同じくらいの幅しかないので、最初の写真の手前側の波立っている辺りはかなり流れが速く、大阪湾からのゴミはみなここから太平洋へ流れ出していくのだろう、と思える場所になります。
東京湾の入り口は、ここと比べればかなり広いので目立たないだけかも知れませんが、太平洋へ流れ出せばそれでいいってものではないし、いまどきは「それじゃ、中国と一緒じゃないか」という警告が戒めになる、と思えるところに情けなさを感じてしまいます……
上写真は、淡路島の生石の鼻と紀淡海峡を挟み撃ちにしようと造営された砲台跡で、江戸時代に大阪湾を守るために造られたそうです。
もう一方の内海の玄関である関門海峡では幕末のころ、長州藩が列強四国(英、仏、オランダ、米)と盛んにやりあっていましたが、この地は結局一度もその役目を果たさなかったのではないか(ここで戦いはあったのか?)と思われます。稼働せずとも国の防衛とははそういうものなのでしょう。
せっかく静かに役目を終えたのですから、再建されることなどありませんように。
ビーチクリーンイベントの一環で灯台見学の準備がされていて、参加していないわたしも見学させていただきました。
本命の参加者の方たちは海岸でゴミを集めている時分から、案内役の海上保安庁の(Japan Coast Guardのワッペンを付けた)方が待機されていて、わたしひとりのためご丁寧に案内していただきました(事前練習になったとは思いますが)。
そこで不勉強な者への貴重な情報を二つ教えてもらいました。
ひとつは下写真の、旧明石天文台(もう天文台じゃないんだよね)を基準とする日本標準時となる東経135度線がこの島を通っていること──この時、忘れていた「日本海に抜ける東経135度線地点」への願望を思い出しました。行きたいけどこれから行く時間あるかなぁ?
もう一つは、関西空港への進入路を指示する通信施設の存在です。
昨晩は連絡船の出る港付近の宿に泊まったのですが、寝てしまえば気にならない程度で騒音とまでは言えない音ですが、12時過ぎまで飛行機の音が聞こえました。
関空は「24時間発着可能」と豪語していますので、きっとこの音は終夜止むことは無いのでしょう(沼島も同じと思われます)。
かつてはこの付近にあった灯台ですが、砲台建設のために移築させられたそうです。
この看板と経度を示す地面の白いロープは、海上保安庁の方が設置されたと思われます(説明してくれた方がしきりに宣伝していました)。
根来寺(ねごろじ)(Map)
空海が確立した真言宗に関連するものを読んでいると必ず出くわす、空海以来と言われる覚鑁(かくばん:漢字は表示できないかも知れない)という僧侶が、(理解しがたいのですが)高野山内で焼き討ちに遭い山を降りて、ここ根来寺に拠点を置いたそうです。
根来寺に関心を持ったもう一つの理由が、秀吉にたたかれた「根来衆」という存在でした。
結局ここも比叡山延暦寺や一向宗と同様、教義を守ろうという理由はあるにせよ、その目的のために鉄砲などで武装して僧兵として戦ったわけで(高野山も同様であったとは驚きました)、「信仰のためには他人を傷つけても構わない」という教義であると受け取られても仕方のない行為であり、戦国時代という切迫感はあったにせよ、それがお釈迦様の教えだとはどうしても思えないでおります。
心をひとつにできることは素晴らしいことではありますが、ひとつにまとまって狂信的行為にはしることが目的では無いはずです。
上写真は境内に茂っていた草で名も知らないのですが、つぼみが何か手を合わせた姿に似ているように見えたので撮りました。
右写真は真言密教を伝える寺院に見られる多宝塔ですが、デカイ! 高野山の塔より大きいのは、きっと対抗したかったのだと思われます。
中から見られないので推測ですが、左半分が障子の窓になっているのだと思われます。
これがお寺ではなくお座敷などの窓で、女性の顔がチラッと見えたりしたら釘付けになりそうです……
多分この絵の撮り方が正解ではと思うのは、手前にある屏風の中央部分がスダレになっており、その部分から透けて見える背景を借景として楽しむ屏風である、と見てとったのですが、いかがなものか?
国分寺跡(Map)
案内図にもちゃんとマークされている名所のはずなのですが、周囲は田んぼや家が建っており、残されているのはこの礎石だけです。
これだけでは、いにしえの有り様を想像することはちょっと難しいのでは、と思われます。
P.S. 今月にはいって転居先を決めるために3度東京を行き来し、ようやく7月1日の転居を決めました。
これから引っ越し準備ですが、この期に及んで「丹後半島(日本海の東経135度線)行きたいなぁ」と、ジタバタ考え始めていますが、さてどうなりますやら……
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