2008/06/24

で、大阪はどやねん?──太陽の塔、道頓堀

2008.05.4-8
【大阪府】

 引っ越しの日取りも決まり関西で過ごす日々も残りわずかとなり、大阪府民のくせにどこも行ってないでは怒られそうなので、ヒマを見つけてポチポチ歩いたものをまとめました。


 万博記念公園(Map)


 「太陽の塔に入れ墨があるん知っとる?」
 「そんなん、大阪人はみな知っとるで」
 ご存知でした?
 こちらに来たとき最初にあいさつに来たのが「太陽の塔」だったのですが、閉園時間を過ぎていてしまい柵の外から眺めて以来となり、2度目がお別れのあいさつとなりました。
 「EXPO '70」(日本万博博覧会)当時は小学生で「科学と学習」(昔は、学研が学校内で雑誌の販売を認められていたこと改めて驚きです)の別冊だったと思う「万博特集号」を、無線綴じの本がバラバラになるまで開いていましたっけ。
 太陽の塔の元には、大きな屋根がありその下が「お祭り広場」とされていて、子供心に「毎日お祭りなんだ!」との幻想を抱いていたこと思い出されます。
 ──今回「お祭り広場」とは実に安直なネーミングだと感じて考えてみたのですが、他に言いようもないものね…… 
 それにしても「太陽の塔」の造形は見事です。ガキのころに感じた「変な顔」はいまでも「変な顔」ですが、作者(岡本太郎)の信念(太陽の下に全人類は集うことができる)が38年経ったいまも伝わってくる思いがします。
 注目を浴びるだけではなく、あれだけ巨大な作品が残されている作家は皆無なのではないだろうか?
 生前から恵まれていた希有な芸術家だと思います。


 緑に囲まれて立っている姿は確かに今風ではあるけれど、万博当時を知らない人は「新興宗教の大仏かいな?」と思うかも知れませんね。
 当時「目が光るんだぞー!」なんて言ってたような気がします……

 その正面にある「エキスポランド」では、大きなクレーンを並べてジェットコースターの解体作業をしています。


 道頓堀(Map)

 道頓堀に向かうとき、同じ道を行って戻るのがイヤで少し遠回りして川の北側を歩いていると、そこが有名な宗右衛門町という歓楽街で(こことは知りませんでした)、昼間からケバケバのお姉ちゃんとサラリーマン風のおっちゃんが手をつないで歩いているのを目にし「いい見聞ができた」と、まずひとつ満足できました。
 道頓堀川を境に、北側が歓楽街で、南側(グリコの看板側)が庶民の繁華街というすみ分けがされていますが、その距離の近さから上野広小路周辺を想起しました(いい意味でフォローすると、新宿歌舞伎町よりも親しみが持てそう、というところでしょうか。ディープな部分は分かりませんが)。

 「阪神優勝バンザイ飛び込み」で有名な戎橋(えびすばし)ですが、改修されていて以前映像で見たものより飛び込みづらく(?)なっているようです。
 現在、財政再建で不人気の橋下知事ですが(選んでおいて後から文句を言うのが大阪気質?)「水都大阪」というプロジェクトは進行中で、水の街を目指していたりします。
 その一環で道頓堀川の水質も向上させて(可能か不明ですが)、屋形船などを運航できるようになれば飛び込んだりしなくなるのでは? とも思いましたが、船上のお客がはやし立てたりするんだろうなぁ、とも……


 店舗閉店の発表から大人気の「くいだおれ太郎」ですが(この日は代役の「次郎」クンです)、やはり人だかりは結構すごいものがありました。
 なるほど一等地にあるので家賃も高そうな食堂ですし「写真を撮って、はいサヨナラ」(わたしもそのクチ)では苦しいだろうこと理解できます。


 法善寺(Map)

 水掛不動(みずかけふどう)さんです。
 全身を苔に覆われているとは知らなかったもので、その姿に感心しながら水をチビリと掛けてきましたが、みなさん勢いよくバシャバシャと不満をぶちまけるように(?)水を掛けているのには驚きました。
 でも、そうでもしなければこんな状態にはなりませんわね、と納得です。
 先日壊された像は右側にある像だそうで(この写真では見えない)、同時にちょうちんの電球も盗まれたそうです。
 希望や願望を祈る場所でその思いを爆発させてしまったその犯人は、それでどの程度満足したのでしょうか?
 その人の弁明は警察の取調室ではなく、この場に公開討論の場を設けて市民の方々に向けて説明させたら、市民からの鬼のような攻撃を受けて心底反省するのではないか、と思ったりします。


 上は隣接の「お初大神(おはつおおかみ)」のちょうちんです。
 近松門左衛門の人形浄瑠璃『曽根崎心中』で有名な「お初天神(おはつてんじん)」は、大阪駅(梅田駅)の近くにあります。
 脱線ついでに、わたしが知るのは映画ですが『曽根崎心中』(増村保造監督)には道行(みちゆき)のイメージが強くあり、大阪駅付近の繁華街からはどうやっても物語を連想することはできませんでした。

 水掛不動さんのとなりの路地が右写真の法善寺横町になります。
 一度通り過ごしながらも「いい横町」の印象があって、この一帯の風情なのかと思ったらほんの一画だけでした……(売り方がうまかったのでしょう)
 いい時間帯に通りがかったんだと思いますが、板前修業と思われる若者が打ち水なんかしていて、とてもいい風情を感じることができました。


 今宮戎神社(Map)


 上写真は「えべっさん」で有名な今宮戎神社です。
 1月10日前後に広く関西の神社で行われる十日戎(とおかえびす)は、仕事を放りだして出かけていく人もいるほど(知り合いも夕方から連絡が取れなくなりました)盛んな行事で、関東で言うと「酉の市」(おとりさま)に近いと思われますが、こちらの方が広く親しまれていて力が入っている印象があります(東京は地元民の割合が低いですから)。
 ──近所の神社でも、市の駐車場を開放しても路上駐車が列をなすほどの大にぎわいだったりします。
 毎年福娘の選考があり、有名どころでは藤原紀香(西宮市)も選ばれたそうです。何だか、関西の神社を歩けば藤原紀香に当たる、というような印象もありますが、神社側の自慢であると同時に彼女も信仰心のあつい人なのでしょう(ただのコンテスト好きかも知れませんが……)。

 建物は立派なのですが、本殿の裏側に高速道路を背負っていたりと肩身は狭そうでもあります。
 ──空に浮かんでいるのは、飛行船。


 通天閣(Map)

 ここも太陽の塔と同じく2度目の訪問がお別れの挨拶になります。
 通天閣の入場券にはミニ通天閣のペーパークラフトが付いています。最初の訪問時は作ったりもしましたが、2度は作りませんわね。
 ミニチュアにもちゃんと「日立」の広告が印刷されています。これにも広告料払っているのだろうか? 結構な枚数になると思ったもので──「そんなの当たり前やろ!」の声が聞こえてきそうです……
 ご存知かも知れませんが、現在のものとは形が違う初代の通天閣は、パリの凱旋門の上にエッフェル塔を立てた姿をイメージして作られたそうです。何というセンスだろう?
 そんな「かぶいた(奇抜な)精神」がいまに受け継がれ、大阪駅(梅田)近くの「空中庭園」のビルなどが作られているのでしょう。
 ビリケンさんの写真を撮ろうと再訪したのですが、結構暗い場所にありうまく撮れませんでした。
 誕生は1908年で、アメリカの芸術家が夢の中で見た神様をモデルにした「幸福の神様」として世界中で流行したそうです。通天閣には1979年から飾られているとのことで、足の裏はテカテカですし、もっと古い話かと思っていたのですが……
 この一帯の繁華街を新世界と言い、休みの日にはホント「他では絶対に見られない」と思われる人種のるつぼと化し、タジタジとしてしまうたぐいのエネルギーに満たされます(前回は土or日曜日だったため)。
 この日は人出も少なく普通の繁華街同様、平和に歩くことができました。って、どんな街や?
 ──休日のここはスペシャルですので、興味のある方は自分の目でお確かめ下さい。
 平日であれば、囲碁や将棋を指す様子をガラス越しにのぞける「王将」(店名)などがあり、テレビなどでよく目にするジャンジャン横丁も、普通に歩くことができます(アメ横のように通路が狭い)。
 怖いところと思っているくせにまた行っちゃいましたけど、いちゃもん付けられるとイヤなので写真撮れませんでした……



 天王寺動物園(Map)


 上写真は新世界に隣接する天王寺動物園のペンギンです。乾くとこんなふさふさになるのか、と感心して。


 四天王寺(Map)

 右写真は近くにあると言うか、こっちが先ですね、聖徳太子建立の「日本仏教の最初の寺」とされる四天王寺になります。
 日本初ということもあり、宗派にとらわれない「和宗」を掲げているところに自負が感じられます。
 起源やその理由については分からないのですが、右写真からも分かるように、ここの主要な建造物である門(背後にあります)、塔、金堂、講堂は一直線に、それも南から北へ並んで建てられています。
 多くの寺院で建造物の位置関係には、立地条件やそれぞれに意味が込められていて、そのこと自体を比較することには意味は無いのではないかと思われます。
 しかしこの配置は実に分かりやすく、眺めながらも「うーん、スッキリしている」と思ったのですが、これがデザイン的に優れているとは言えないかも知れません。
 それが教えのひとつである、との説教を聞いてみたいと思いましたが、もう観覧時間を過ぎていました……


おまけ──上記以外の大阪編
 少し前に写真も文章も下書きまでしたはずなのですが、削除しちゃったようです。

 大阪城(Map)

 デッカイです! 自慢したい気持ちはよく分かります。


 難波宮跡(Map)

 せっかく大阪に築かれた都なんですから、もう少しアピールすべきだと思います。
 わたしには、後から繕われた大きな城よりも「昔、大阪にも宮廷が置かれた」ことを自慢すべきと思えるのですが……
 ──それを好ましく思わない気質がこの土地にはあるのかも知れない、と思ったりもします。


 海遊館(Map)

 ジンベエザメも泳いでいる水族館なのですが、ゴメンナサイ。
 美ら海水族館を観てしまった後では、それ以外の特徴を出してくれないと素通りしてしまいます。
 いまのところ立ち止まれるのは、八景島くらいか?

 大阪は以上になります。
 ひとりでUSJ(ユニバーサル・ スタジオ・ジャパン)へは行かないこと、ご理解いただいていると思いますので……


番外編──兵庫県になります。

 宝塚(Map)

 信号待ちをしていると、いきなり金髪、ロングコート、ジーンズのお姉ちゃんがスタスタと歩いてきます。「カッチョエーッ!」
 ちょうど、音楽学校への登校時間(もしくはレッスン時間)らしく、右から左から来るんだけれど、みんな抜群!
 背が高いし、スリムだし、姿勢が良いし、歩く姿カッコイイし、もう見とれちゃいますね。
 街中を歩きながらも「見られることが訓練」のように、気持ちに張りを持ち続けている姿勢(というか生き方に近しい気がする)は、いいことだと思うし、あそこまで気取ると言うか「自分を演じられる」ことは素晴らしいことだなぁ〜、と思わされました。
 わたしが見る限り、男性役と思われる方の「unisex」(女でありながら女でない)の魅力が理解できた気がしました。
 逆に女性役の方は、着飾ってないのに動作がお姫様的になってしまうのが不利と言うか滑稽で、大変失礼なんですが「お姫様ごっこやってるの? それともブリッ子?」という風に映りました(舞台じゃないですからねぇ)。
 ──苦情は全部わたし宛にお願いします……

 音楽学校の門の周辺には若い子の追っかけもいるんですが、圧倒的に多いおばちゃんたちの群れにはそれぞれのテリトリーがあるのか(仁義があったりするのでは?)、ある程度の距離を置いて分散して「ごひいきの入り待ち」をしていらっしゃいます。
 そんな様子のコメントなんか書いた日には、サイトが炎上するんじゃないか? と、やめておきます……


 有馬温泉(Map)

 ビッグネームどころとして(宿泊料金高いので立ち寄り湯です)かなりのインパクトを期待していたのですが、普通の山里の温泉地という印象でした。
 「金泉」「銀泉」と言われる、「金:鉄がさびたような赤色」の温泉の効用に特徴があるのかも知れないとは思うのですが、これなら式根島の地鉈(じなた)温泉など、もっとインパクトがあるお湯はあるのではないか、と思ってしまいます。
 「銀:発砲する炭酸の泡」が実に心地よいのですが、人工的に再現されているそうです。
 秀吉とねね、ゆかりの湯としての宣伝効果が、むかしからあったためでしょうか? でも、そんな宣伝でもしないと人は寄りつかない山深い場所と思うのですが……
 でもいまでは、六甲山を貫く自動車道路や地下鉄のトンネルが作られていて、電車でも30分もあれば神戸に出られる通勤圏になっているのが驚きです。神戸市、さすがです!

 P.S. 神戸の若い女性(観光客ではなく地元の方)について感じていたことを地元の方に聞いてみました。
 「好みかも知れないけど、神戸の若い女性はキレイな人が多いと思うんだけど」
 「ええ、そういう評判ですよ。この辺は女子大が多いですから」
 「なるほど、みんなセンスがいいんだろうなぁ」
 「神戸に住んだらどうですか?」
 それはいいけどぉー、なんて顔がにやけているのを自覚していました……

2008/06/20

内海の門──和歌山県西部

2008.6.14-15
【和歌山県】

 白崎(Map)


 スキー場のロッジに来ています。
 それは冗談ですが、一瞬そんな絵に見えたりしませんか?
 ここは紀伊半島西側の白崎(しらさき)で、内陸部への連続性は分かりませんが、岬の部分だけに石灰岩の白い世界が異次元のように広がっているような印象があります。その岩の白さと海のコントラストに引かれての再訪になります。
 現地で、それほど気に入ってるに写真が残ってないのは何故? と考えて、前回の訪問中にカメラが故障したこと思い出しました。写ルンですを買ったものの、熊野古道などの写真は全滅でした……
 そんな記憶の中で「ここだけは」と思っていたのかも知れません。
 ──熊野古道などはいまでも強烈な印象として残っているので、写真なんかいらないと思っている面もあります。しかしあんなにチャーミングな牛馬童子(ぎゅうばどうじ)像(出会えた瞬間は感激しました!)が破壊されたなどと聞くと、世も末と言うか日本はこの先どうなってしまうんだろうと、暗たんたる気持ちにさせられます……


 最初の写真のバンガローや、コンテナハウスなどの設備のあるオートキャンプ場や、ダイビングに利用できるクラブハウスなどが整備されたリゾート地的な一画になります。
 土曜だったせいもあり、ウエットスーツ姿の人が何十人もゾロゾロ歩いていました。
 駐車場が白い岩の壁に囲まれたくぼ地のような場所にあり、自慢の愛車をそんな背景の前に止めて盛んにシャッターを押す人を見ていると、ここはそんなポスター撮影などによく使われたりするのだろうと思えます。
 絵になるし、西海岸になるので夕日を眺めながらのデートには最適と思われます。
 と考えると、昼間よりも夕暮れ時の方が賑わっているのかも知れません。




 湯浅(Map)

 醤油の起源とされる金山寺味噌(大豆・米・麦・野菜を熟成させたものを食用とする)が中国から伝わり、現在も特産品であるこの地が醤油発祥の地とされています。
 金山寺味噌には穀物の風味が色濃く残っていて口当たりも良く、体にも良さそうな栄養価の高さを感じさせてくれるので、箸の出しやすい食材だと思います。
 ですが、伝統の味を守ろうと自負する土地の食材には「んっ?」と感じたりすることもあります。
 それはわたしの味覚が、伝統の味を現代風にアレンジしたものに慣らされたせいであろうことは理解しています。
 これまで訪問してきた近畿以西の歴史の長さを踏まえると、「甘さ」がとても貴重だった時代にもてはやされた「味覚」が伝統として受け継がれているのではないか? と感じられる土地が多いように思います。
 東方から来た野蛮人の、伝統的な金山寺味噌を甘く感じ、醤油発祥の蔵のたまり醤油をまろやか過ぎると感じたりする「味覚」というものは、言ってしまえば個人の嗜好ですから、そんな勝手な基準では「文化」「素朴さ」を感じることはできないのではないか、と思われます。
 見聞と同じで、その味からどんな「歴史」「風景」を感じられるのかが大切なのではないか? と思いながら味わっておりました。



 友ヶ島(Map)


 上写真、右上の対岸に色濃く見える低い山が「生石(おいし)の鼻」になり、その奧が淡路島の山で、左側に薄く見えるのが沼島です。
 瀬戸内側から東へ進んできたくせに、伊勢など行ったりして順番は逆になりましたが、忘れていたわけではありません。ここを訪れずして西日本の内海巡りを終えられないと考えていました。
 未踏の島は数多くありますが、これでひと通り関門海峡から紀淡海峡まで続く内海の島巡りは終了で、自分の中ではひとまず閉じた(つながった)という認識になります。
 沖縄は広くてちょっとずるいのですが、屋久島、五島列島に並ぶお気に入りに、しまなみ海道周辺(だけではありませんが)が加わり、見聞の幅が少し広がったのではないか? と思っております。
 でも日本地図を見てもらえれば分かるように、東日本にはそんなに島はないんです……(伊豆諸島は訪問済み)


 友ヶ島とは、地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称とされていて、訪れたのは一番沖合に位置する沖ノ島になります。
 行程を考え9時の船便に乗ろうと船着き場へ行くと、ギョッとするほどの人が集まっています。
 そんなに人気があるのか? とビビッたら「友ヶ島 ビーチクリーン2008」みんなで海岸を掃除しましょうという催しに遭遇してしまったようです。
 子ども連れからおっさんグループまで結構な人数が集まっていて、乗り切れるのか? という中、一般乗客として最後の切符を入手できました。
 なるほど大阪湾の入り口ですから、水の汚れはそれほど分からないでも、浮遊するゴミの多さにはやはり大都市圏(大阪、神戸等)を背景にした海という印象があります。
 海峡の幅も明石海峡と同じくらいの幅しかないので、最初の写真の手前側の波立っている辺りはかなり流れが速く、大阪湾からのゴミはみなここから太平洋へ流れ出していくのだろう、と思える場所になります。
 東京湾の入り口は、ここと比べればかなり広いので目立たないだけかも知れませんが、太平洋へ流れ出せばそれでいいってものではないし、いまどきは「それじゃ、中国と一緒じゃないか」という警告が戒めになる、と思えるところに情けなさを感じてしまいます……

 上写真は、淡路島の生石の鼻と紀淡海峡を挟み撃ちにしようと造営された砲台跡で、江戸時代に大阪湾を守るために造られたそうです。
 もう一方の内海の玄関である関門海峡では幕末のころ、長州藩が列強四国(英、仏、オランダ、米)と盛んにやりあっていましたが、この地は結局一度もその役目を果たさなかったのではないか(ここで戦いはあったのか?)と思われます。稼働せずとも国の防衛とははそういうものなのでしょう。
 せっかく静かに役目を終えたのですから、再建されることなどありませんように。


 ビーチクリーンイベントの一環で灯台見学の準備がされていて、参加していないわたしも見学させていただきました。
 本命の参加者の方たちは海岸でゴミを集めている時分から、案内役の海上保安庁の(Japan Coast Guardのワッペンを付けた)方が待機されていて、わたしひとりのためご丁寧に案内していただきました(事前練習になったとは思いますが)。
 そこで不勉強な者への貴重な情報を二つ教えてもらいました。
 ひとつは下写真の、旧明石天文台(もう天文台じゃないんだよね)を基準とする日本標準時となる東経135度線がこの島を通っていること──この時、忘れていた「日本海に抜ける東経135度線地点」への願望を思い出しました。行きたいけどこれから行く時間あるかなぁ?
 もう一つは、関西空港への進入路を指示する通信施設の存在です。
 昨晩は連絡船の出る港付近の宿に泊まったのですが、寝てしまえば気にならない程度で騒音とまでは言えない音ですが、12時過ぎまで飛行機の音が聞こえました。
 関空は「24時間発着可能」と豪語していますので、きっとこの音は終夜止むことは無いのでしょう(沼島も同じと思われます)。


 かつてはこの付近にあった灯台ですが、砲台建設のために移築させられたそうです。
 この看板と経度を示す地面の白いロープは、海上保安庁の方が設置されたと思われます(説明してくれた方がしきりに宣伝していました)。


 根来寺(ねごろじ)(Map)


 空海が確立した真言宗に関連するものを読んでいると必ず出くわす、空海以来と言われる覚鑁(かくばん:漢字は表示できないかも知れない)という僧侶が、(理解しがたいのですが)高野山内で焼き討ちに遭い山を降りて、ここ根来寺に拠点を置いたそうです。
 根来寺に関心を持ったもう一つの理由が、秀吉にたたかれた「根来衆」という存在でした。
 結局ここも比叡山延暦寺や一向宗と同様、教義を守ろうという理由はあるにせよ、その目的のために鉄砲などで武装して僧兵として戦ったわけで(高野山も同様であったとは驚きました)、「信仰のためには他人を傷つけても構わない」という教義であると受け取られても仕方のない行為であり、戦国時代という切迫感はあったにせよ、それがお釈迦様の教えだとはどうしても思えないでおります。
 心をひとつにできることは素晴らしいことではありますが、ひとつにまとまって狂信的行為にはしることが目的では無いはずです。

 上写真は境内に茂っていた草で名も知らないのですが、つぼみが何か手を合わせた姿に似ているように見えたので撮りました。
 右写真は真言密教を伝える寺院に見られる多宝塔ですが、デカイ! 高野山の塔より大きいのは、きっと対抗したかったのだと思われます。


 中から見られないので推測ですが、左半分が障子の窓になっているのだと思われます。
 これがお寺ではなくお座敷などの窓で、女性の顔がチラッと見えたりしたら釘付けになりそうです……


 多分この絵の撮り方が正解ではと思うのは、手前にある屏風の中央部分がスダレになっており、その部分から透けて見える背景を借景として楽しむ屏風である、と見てとったのですが、いかがなものか?


 国分寺跡(Map)

 案内図にもちゃんとマークされている名所のはずなのですが、周囲は田んぼや家が建っており、残されているのはこの礎石だけです。
 これだけでは、いにしえの有り様を想像することはちょっと難しいのでは、と思われます。


P.S. 今月にはいって転居先を決めるために3度東京を行き来し、ようやく7月1日の転居を決めました。
 これから引っ越し準備ですが、この期に及んで「丹後半島(日本海の東経135度線)行きたいなぁ」と、ジタバタ考え始めていますが、さてどうなりますやら……